【同人誌再録】朱の花 (2007年春発行・2011年10月24日WEB再録)



あの長い長い旅が終わって、あたしはミズホの頭領になった。正直な話、あたしなんかに頭領の肩書きは重くて、本当のことを言わせてもらえば、いっそ逃げ出してしまいたい。でも、膝を抱えて雷に怯えていたあの頃よりは、きっと、もっとずっと強くなったと思うし、そうでなければならないと思う。おろちや里の皆に頼ることも少なくない、情けない頭領だけどね。
それでもあたしは、「あたしに出来ることをやればいいんだ」って、そう教えてくれたあの旅の仲間たちを想うと、何だって頑張れそうな気がするんだ。

ふたつの世界がひとつになる、というのは、実際には、想像していたよりも大変なことだったらしく、あたしにはミズホの頭領としては勿論、その他、テセアラからシルヴァラントへの和平の使者としての仕事もあったりで、割と忙しく、現時点ではそちらの方がメインとなっている。

ミズホの里のことは、おろちが居てくれるから安心して任せられる。
任せられるんだけど。

「…だからと言って、任せっきりなのも無責任過ぎると思うんだよね…」
「何が?」
「里のことだよ。あたし、仮にも頭領なのにさ」
「仮も何も今や正式な頭領でしょうが。でも、お前の仕事は頭領だけじゃないし。和平の使者〜っつー大事なお仕事があるじゃないのよ」

そう、和平の使者ならね。その仕事なら何より優先するべき仕事だと思うし、おろちには悪いけど里のことまで手が回らなくても、多少は仕方がないと思う。無責任かもしれないけど。
そうは思うんだけど。

けど。
けどね。

実は今、里のことはおろちに任せて、あたしはまた旅に出ている。あろうことにか、あたしの少し前をダラダラと歩く、この男とふたりきりで。しかも、これといって行くあてのない旅。

それと言うのも、薄倖の神子サマが何者かに命を狙われているため、護衛を兼ねて一緒に旅をすることになったのだ。

「あーあーあー! まったくいい迷惑だよ」
「お仕事、お仕事♪」

人が頭を悩ませているというのに、当の本人の神子サマは、まったく呑気なものだった。

そう、これは仕事なのである。
そう割り切らないとやってられない。

こんなやつとの二人旅なんて。





「今夜はこの辺で休むとしようか」
ぼんっ! と、景気のよい音を立てて、ウィングパックからテントが現れた。暗くなってしまわないうちに、さっさと野営の準備に取り掛かる。
あの旅では、人数も多かったし、役割分担も自然となされていたから、野営ひとつ取っても随分と楽だった。あたしは大抵、ジーニアスと、それからリーガルやプレセアと一緒に、夕飯の支度をする係だった。
「っか〜! せつねぇなぁ〜…。何が悲しくて、こんなしょぼいテントなんだか…」
そう、こいつはいつも、こうやってグチグチ文句をたれていた。そしてロイドに呆れられ、コレットになだめられ、リフィルにいいように使われていた。まったくこいつは変わらない。
「文句言わないよ! 誰のせいでこんな事になってると思ってるんだい?」
「うっ、そりゃあだって仕方ないでしょ〜よ〜。だって俺さま神子さまなんだもん。でも、出来ればもっと広いおウチが良かったなぁ〜」
聞こえよがしに、ちえっ、なんて言っているが、相手にしない。下手になだめてやったりなんかしたら、エスカレートしていくに違いないし、そうなってからでは遅いのだ。
あたしは、何らかの意思表示のつもりなのかツンと尖らせたヤツの口元を、じろり、ひと睨みして、
「目立っちゃダメだって言ったのは誰だっけ? どの口だ? ん?」
あたしはコレットじゃないからね。容赦なく冷た〜い視線を送ってやる。
「…う。俺さまで〜す。この口で〜す…」
「分かればよろしい。さ、テント組み立てて」
何だかんだ言いつつも一通りのことを難なくこなすのが、こいつの嫌な所で、ただの布切れだったテントは見る間に膨らみ、あたしが料理を皿に盛り付ける頃には、すっかり出来上がっていた。

「あ〜しんど」
「おつかれさん。さ、ご飯にしようか」
「おう」
あたしたちの旅は、取り敢えずふらふらと歩いて、時々出くわすモンスターから食料とお金を頂戴して、夜は森に入って野営をする、という繰り返しだった。
ヤツが、布団が欲しいだのシェフの作った料理が食べたいだのと喚くことの他は、まあそれなりに問題もなく、たぶん、うまくやっていたと思う。





テントの中は、暗い。
人目を避けるために、森で野営をするのだが、鬱蒼と茂った木々は、僅かな月の光さえも届かなくしてくれるらしい。
となると、ランプのお世話になるわけだが、節約家というべきか、はたまたケチというべきか、彼女はランプを使うことを、あまり良しとしない。
「さ、さっさと寝床の準備! 油が勿体無いからね」
俺さまからしてみたら油なんてやっすいモンだが、コトはそーゆー問題ではないらしかった。
全てのエネルギーには上限がある。若しも、の時のために少しでも節約しておこうとするのは、忍びの習性か。
(それとも単に、夜中に俺とふたりきり、ってのを意識したくないだけなのかもしれないケドね)
でも、間違ってもそーゆーコトは口にしてはならない。
途端に彼女が不機嫌になるのは安易に想像がつくし、そしそれはきっと、翌朝以降もずるずると引き摺るに違いないのだ。

「よしっ、あたしの方はもういいよ。ゼロスは?」
「俺さまも、おっけー」
「じゃあ、消すね」
片手に収まりそうな位に小さな光ひとつ失っただけで、テントの中は、たちまち真っ暗になる。
俺は、暗闇に目が慣れるまで、極力身動きは取らないようにしている。
「…っと、ごめん、ゼロス」
テントは狭い。
どうやら、横になろうとしたしいなの肩あたりが、俺の膝に軽く触れたようだ。
「この狭いのが何ともなぁ…」
「もう慣れたろ?」
苦笑しながら言うと、しいなは事も無げに返す。
しいなはもう、慣れたのだろうか。
「…だって俺さま、普段はでーーっかいベッドを一人占めしてんのよ? 慣れるとかゆー問題じゃないの」
でーーっかい、という部分を、大袈裟に語気を強めて言う。いかにもガキっぽく。
「仕方ないだろ。大体、ちょっと前までは、そんな事言わなかったじゃないか。どうしたんだい急に」
「…べっつにー」
さては旅に嫌気がさしたね? だとか、飽きちまったのかい? だとかしいなが笑いながら言う。俺がガキっぽい態度を取ると、しいなはいつも途端に年上ぶるから面白い。

そんなくだらないじゃれ合いをしているうちに、段々と視界が開けてきた。俺が何となくほっとしていると、しいなは眠くなってきたのか、
「…もー。アホ神子はほっといてあたしゃもう寝るからね。
あんたもさっさと寝なよ。おやすみ」
抑揚のない声で言う。
多分、もう意識は殆ど夢の中だ。
「ん、おやすみ」

おやすみ、しいな。





しいなが寝息をたてるのを確認してから、俺も横になる。
気を付けて、そっと動かないと、すぐに体のどこかがしいなに触れてしまう。
旅も、初めのうちは、この距離の近さが純粋に嬉しかった。距離が近くてウハウハ〜とか、ふざけて言えるくらいの余裕もあった。
(この、距離が、なぁ…)
近すぎるのだ。
規則正しい寝息が、すぐそばで聞こえる。
まあ、これだけならば、若干問題ではあるが眠れなくなる程の大きな問題ではない。
それでも、なるべく距離を取りたくて、恐る恐る寝返りを打って体を傾ける。うっかり、しいなの毛布を引っ張るなんてことがないように、細心の注意を払いながら。

と。

こてん。
背中に何かが触れた。

そしてそれは、小さく身じろぎし、子猫が母親に甘えるように、俺の背中に擦り寄って来た。
自慢の長髪が擦れて、さわさわと耳にうるさい。じわじわと背中が温かくなっていくのが感じられる。
「…またか」
正直、ゲンナリする。
舌を打ちたい所をぐっとこらえて、そっと寝返りを打ち、首を捻ってしいなを見遣る。
どうやら熟睡中のようだ。
そりゃそうだ、シラフでこんなことをやるわけがない。
「どうしてこう微妙に寝相が悪いのかねぇ、ウチのお姫様は」
無意識に愚痴のような言葉が口をついて出る。まったく、この寝相に比べれば、寝息なんてかわいいものだ。

彼女は、一体何のために俺がこんな端っこで丸まっていると思っているのか。
まあ、そうは言っても、相手は眠っているのだから誰に文句が言えるわけでもない。
俺は半身を起こし、膝立ちになった。しいなの首の下に手を回し、そっと持ち上げ、移動させる。
「…ったく、ミズホも大したことねえなあ。頭領サマがこんなにグースカ爆睡してるようじゃ、俺さまミズホの未来が心配だぜぇ」
ブツブツとこばしながら、しいなを抱きかかえた。
いっそここで起きてくれたらいい。そしたら、いつものように大袈裟にからかってやるのに。
さすがに揺すれば起きるかもしれないが、起きたら起きたで、ほっとしつつも可哀想な気もして、結局いつも何もできない。

「慣れろ? 俺さま」
気合を入れて、足の裏に、グ、と力を込める。片膝を立てて、しいなを抱え起こす格好になる。このまま腕を伸ばし行けるところギリギリまでしいなを遠ざけてしまえば、今夜のミッションは完了だ。
「ん…」
「げ、あれ、悪ぃ、起こしちまったかな?」
タイミングの悪い所で、お姫様のお目覚めか? 起きて欲しい時には爆睡してるくせに、なんてジコチューなお姫様だよ。
「んー…」
しかし、トロンとした目つきを見るに、どうやらまだ完全に起きてはいないようだ。下手に動かすよりも、このままじっとしていた方が得策だろう。
睡眠がそんなにお好きなのか、しいなは、うっとりした顔をしている。これは直視すべきではない。目は口ほどに物を言う、とは良く言われる言葉で、今しいなが目覚めて俺と目が合ってしまうと、正直、これからの旅に支障をきたす。

さらり、と布の擦れる音がして、何か温かいものが、頬に触れた。恐る恐る横目で確認すると、どうやらそれは、しいなの手の平らしかった。それが目に入った瞬間、情けなくも、びくん、と、体がこわばる。
ちょっとこれはまずいんでないの?意識がないくせに、どうしてそこで手が動くかな。
ホントに寝相が悪い。

しいなの手の平や指先は、メルトキオのハニーたちと比べて、随分と硬い。
女の子はみんな、どこもかしこもふわふわした生き物なのだと思っていた俺にとって、しいなは異色の女だった。
今、俺の頬に触れている細っこい指も、恐らくただの一度も巻かれたことのない素直な髪も、俺の中の女というカテゴリーを越えた、新しい生き物だ。

俺は、しいなの肩を抱いた右手を、ぐっと引き寄せて、己に半身を凭れかけさせると、少し自由のきくようになった右の掌を、闇にとけた黒髪の間へと滑り込ませる。
髪に触れたその一瞬、ひんやりとしたが、奥へ進むにつれ、じんわりと温かくなっていくのが感じられた。その体温を楽しむかのように、くしゃくしゃ、と頭を撫でてみてから、そっと手を引くと、黒髪はまるで一本一本に意思があるかのように、俺の指の間を自由自在に滑り落ちて、闇へととけていった。それが面白くて、髪を梳くように何度も何度も同じ動作を繰り返した。

ふとした思い付きで取った行動だったが、思わず我を忘れて夢中になってしまっていた。
その間、昼間のはねっかえりが嘘みたいに、髪もしいなも大人しくしていた。
幾らなんでも無防備すぎやしないか、と苦笑すると共に、
少しの苛立ちと、大きな安堵を覚える。

今まで寝所を共にしたハニーの数など数えちゃいないが、眠っている女の髪を自由にこねくりまわすのは初めてだ。
尤も、そんな事は誰も知らないだろうし、知らなくていい。

女は、男よりも聡い生き物。
誰も神子なんかに本気にはならない。
そこが俺にとってはありがたい。
俺なんて、アクセサリーにしか過ぎないのは分かってる。
けど、その時その時が楽しければそれでいいんだよ。
無防備な素顔なんて見せてくれなくていい。
俺だって取り繕った仮面を外す事はないんだから。
お互い様だろ。

でも、しいなは、違うんだよな?
だから馬鹿だって言うんだよ。

ココロの中で、しいなをトコトン馬鹿にしてみる。
馬鹿馬鹿馬鹿。本当に馬鹿。
誰にでも優しいってのは、犯罪だ。
痛い目に遭いながら生きていかなきゃいけない奴だって、世の中にはいるんだぜ?偽りの幸福や下心のある善意がないと不安だってヤツが。そーゆーのに囲まれてないと、生きてる意味なんてない、そう思ってる憐れなヤツが。

なあ、しいな。
本当は起きてるんだよな。
今すぐ起きて、俺に侮蔑の視線を投げかけてくれよ。
俺はお前を手に入れちゃいけないんだよ。
これ以上、隙なんて見せないでくれよ。

お願いだから。





ぱさり、と音を立てて、俺の髪がしいなの頬に落ちた。
しいなはまだ起きない。
しいなの吐息が、俺の頬をかすめる。脊髄を走るぞくりとした甘い感覚と共に、背中が汗ばんでいく。
起きないしいなが悪い。
何をされても文句は言うなよ?

鼻先まであと数センチ、というところで、しいなが小さく身じろぎした。
ほらな、やっぱり。実は起きてたんだろ。
やっぱ俺さまはそうじゃなくちゃな。
「バーカ」
言いながら離れようとすると、
くい、とこめかみの辺りが、小さな力で引かれた。
「おわっと」
軽い痛みに導かれるまま、顔が右に傾いた。

ちゅ。

唇の端に、柔らかいものが触れた。

咄嗟に、反射的に、がばっと顔を上げてしまった。
いや、そもそもそーゆーコトを考えて顔を近付けたわけだが、それは本心ではなくて、本当は目を覚ましてくれたらいいなとか思っていたわけで、まさかこんなコトになるとは予想だにしなかった。

え?え?ええ?
今のは事故だよな。
今のって、俺は悪くないよな。
寧ろ、しいなだよな。
しいな、ホントは起きてる?
「し、しいな?」
名前を呼ぶ声に、自分でも、期待の色を感じてる。

暗闇の中、目を凝らし、しいなの表情を伺うと、瞳は薄く閉じられていた。
しかし、先程は薄く開かれていた唇が、へらりとだらしなく緩み、
「…えへ…」
馬鹿みたいな寝言がこぼれている。
結局のところ、どうやら寝ぼけていただけのことらしい。
平和そうにえへらえへらと笑うしいなの顔を見ていると、
先程とはうって変わって、穏やかな気持ちになる。
安堵したのも手伝ってか、寧ろおかしくなってきた。
何なんだよお前、実はキス魔か? 初めて見たぞ、こんなの。馬鹿だ、馬鹿。馬鹿がいる。好きでもない男にキスなんてしちまう、馬鹿が。
こんな馬鹿女に遠慮するこたないよなあ。そう思ったから、ドキマギさせてくれたお礼として、気持ちを込めて、頬に軽く唇を滑らせてやった。
このくらいなら、許されるだろう。
しいなが、くすぐったそうに声を上げた。

「えへ……ろ…っ……ふふっ…」

途端に、悪い夢から醒めたような、ぞくりとした感覚が、一気に背中を伝った。

「え…?」

成程ね。
納得出来すぎて、笑ってしまう。
所詮俺さまは俺さまよ。

(ろ…ロイドね)

敵わない。
遠く離れてしまって尚、そして俺と居るのに尚、ヤツはしいなを開放してくれる気はないらしい。

敵うわけが、ないんだよ。
そもそも俺さま、母親殺しの神子様だしね。
自分の幸せを期待するなんて、そりゃ、幾らなんでも、親不孝過ぎるだろ。
ただ、それでも、しいなの傍に居ることくらいは、許されるかも知れないなんて思ってた。

弱気どころの話ではない。それでもいいと思った筈なのに、なのに、この胸の虚無感は何だ。

「…まいったなぁ、こりゃ」


心底マイってる。





小鳥のさえずりで目が覚めた。
今朝はきっといい天気なのだろう。こんな日は、それだけでうんと気分が良くなる。
たったそれだけだけど、大切なこと。

半身を起こして、う〜ん、と、大きく伸びをして、ふと隣を見遣ると、そこに居る筈の人が居ないことに気が付く。

さあっと血の気が引いて、考えるより先に、体が動く。
あたしは度胸がないから、ここぞ、と言う時でいつも、ココロが怯んでしまうけど、カラダだけはこんな時のために鍛えてあるつもりだ。

片膝を立ててテントの入り口までさっと移動する。すうっと細く息を吐くと、小さく隙間を作り、外の様子を確認した。

(あれ…?)
そこには、見慣れた紅い髪と、足元には数羽の小鳥。
(良かった…。ゼロスは無事だね…)
ほっと胸を撫で下ろしながら、小鳥たちを驚かせないように注意を払って外に出る。
「お、起きたか。おはようさん」
あたしが声をかけるより早く、ゼロスがあたしに気付いた。ゼロスが音を発したことに驚いた小鳥たちは、慌てて空へと帰っていった。
「ごめん、寝坊しちまった。すぐ支度するから」
正確な時刻は分からない。
だけど、きっとあたしは随分と寝坊してしまったのだろう

だってこの男が起きてから、かなりの時間が経っている気がするから。
目覚めた時のテントの中のひんやりとした空気は、とても先刻まで隣に人がいた温度とは思えなかった。





いつものように、二人並んでテクテク歩く。
旅も初めの頃は、なんとなく照れくさくて、半歩後ろを歩いていたが、もう慣れてしまった。
今や、『コイツと二人旅なんて…』と不安だらけだったあの頃が嘘みたいだ。
それに今日は、とびっきりいい夢を見たから、あたしはすごく気分がいい。
だからきっと寝坊してしまったんだろうけどね。
幸せすぎて、現実に戻ってくるのが嫌になったんだ。

横目でチラリ、とゼロスの様子を伺うと、朝の弱い光を受けた前髪が、ほのかに光った。
あたしの視線に気付いたゼロスが、ん? と上半身を傾ける。おひさまが隠れて、ゼロスが逆光になる。
ゼロスは笑ってる、けど、逆光がコロナみたいにゼロスを縁取って、神秘的なのに、どこか陰りが見えて、あたしはどきんとした。

「…? どうかした?」
平坦な口調で訊くゼロスは、すごく静かで、あたしはひどく不安になった。
「どうしたんだい? 何だか今日は元気がないね」
「そ?」
「あんまりしゃべらないし…」
「オレさまいつもこんなモンですよ〜?」
「…そうだっけ?」
そんなワケはない。
こんな風に、のらりくらりと話をはぐらかすのは、何か隠し事をしている時のゼロスの特徴だ。
あたしは、ゼロスが一人で考えて行動することの出来る人間だということは知っているけど、それだけじゃなくて、実は独りで思い詰めてしまうタイプの人間なのだということも、もう、ちゃんと分かってる。
「嫌な夢でも、見たのかい?」
踏み込まれるのは嫌いかも知れないけど、放っておくことはできない。
「別に? お前は?」
「え? あ、あたしのことはいいんだよ。」
「何で?」
何で、って。
何でもヘチマもないよ。
まあ、ね、自分がいい夢見れて気分がいいからって、相手が気分悪いの捕まえて、夢のせいにしようってのは、我ながら安直すぎるとは思うけど。
「さてはお前、昨日いい夢みたんデショ」
…しかも見破られてるし。
あたしって本当に頭悪いんだ…。
「べ、べつにぃ? あんたは?」
さっきのゼロスの真似をして切り返す。
ゼロスは、ははっ、と笑った。そして、傾けた上半身を更にぐっと曲げ、俯いたあたしを上目遣いで見てきた。
あたしはこいつの、こーゆートコがきらい。ウドの大木のくせに、くにゃくにゃと人の目線まで降りてくるところ。
「またまた、そんなコト言っちゃって〜。俺さまが、昨日お前が見た夢の中身、当ててあげよっか〜?」
「…っ! へっ?」

なっ…!
何を言い出すのかコイツは!
まさかとは思うけど、寝言なんて言ってないよね?
「なんっ、な、何も見てないし!」
「あらそう〜? でもお前、お顔まっかっかよ〜?」
そんなワケはない。いつものようにからかっているだけだ。絶対そうだ。そうに決まってる。
ぐぐぐ、と、眉間に皺をめいっぱい寄せて、睨みつける。
ゼロスは、へらりと笑うと、体を起こした。
そして今度は、先程とはうってかわって、上から見下ろす。
「どーせスケベな夢でも見たんデショ。えっちー」
「違う!」
殴るよ! と、拳を固めて詰め寄ると、ゼロスは、おーこわ、とおどけてみせた。

あたしじゃだめだね。
一緒に居たって、ゼロスのココロは開けない。
わざわざ目線を合わせてくれるなんて、馬鹿にされてる事この上ない。
ゼロスは、あたしなんかに心配されたくはないんだね。





結局この日も適当に歩いて、太陽が真上を通過してからすぐに、森へ入ることにした。
この辺りの森はまだ不慣れで、早めに入って探索しておかないと後々困ったことになる。
それに今日は、いつもなら、俺サマまだ遊びたいなどと駄々をこねるゼロスが妙に大人しいのも気になった。

ゼロスは、刺客の気配に気が付いているのかも知れない。
若しくは、あたしの寝ているうちに何かあったのかも。

色々と考えられることはあるが、あたしはこれでもミズホの頭領だ。刺客の気配に気付けない筈はないし、何かしらの報告が入っていたとしても、ゼロスよりも先にあたしの方へ話が来る筈だ。
ということは、十中八九、ゼロス自身の問題なんだろうけど、それをあたしに言える程、こいつのプライドは低くはない。
だからあたしは、勝手にゼロスを気遣ってやるんだ。

道中、悶々と考えながら歩いていると、どうしても無口になる。ゼロスとしいな、いつだってふたり揃えばやかましくて、皆に呆れられたあの旅が懐かしい。
「ゼロス、あんたが静かだと落ち着かないね」
「そぅお? 俺さまだって、時には静かに物思いに耽ることもあるのよ」
「へー。ま、どーせ女の子のことだろ」
いつものように嫌味っぽく言えば、
「お、よく分かったなー。そーよそーよ、俺さま、いつだって女の子のこと考えてるの」
「あんたってサイテー」
でも、早くメルトキオに帰りたいんだろうね。
大勢のハニー達が待ってるもんね。
「なんだい、ホームシックかい。あんたのことだから、メルトキオのハニーたちとやらに早く逢いたいんだろ」
あたしが小さく笑うと、ゼロスもにっこり笑った。
でも、その笑顔が寂しそうで、何だか可哀想になった。
「大丈夫だよっ! ミズホの情報網をナメんじゃないよ? あんたを狙ってるってヤツらも、きっとすぐに見付かるさ。そしたら、この旅もめでたくおしまい! メルトキオに帰れるよ」
あとちょっとの辛抱さ! と景気づけに背中を叩いてやると、ゼロスはもう一度寂しそうに笑ってから、
「だよなー!」
うってかわって、にぱっと元気に笑った。それが嬉しくて、つられたように、あたしも笑う。
「ミズホを信じな!」
ゼロスは、おう! と言った後、小走りに前へ出て、
「待ってて! 俺さまのハニーたち! なーんてな!」
両手を広げて、芝居がかった口調で空へ叫んだ。
あたしが、呆れつつもその背中に、
「ゲンキンだねえ」
と零すと、
「お前のコトも、愛してるぜ」
と、思いがけない返事が返ってきた。

ふざける余裕が出来るくらいには、
元気付けてあげられたのかな?





それから暫く、ゼロスはあたしの数歩前を歩いたままだった。
あたしも彼に追いつこうとは思わなかった。
あの旅では、毎日のように、それこそ馬鹿の一つ覚えみたいに言われていたあの台詞を、この旅では初めて聞いた。
いつもの調子が戻ったってコトかな。
あたしはヤツの、力になれたってことなのかな。

少し広い場所に出た。
足元を見たところ、踏み固められた感じがするから、きっとこの辺りの住民が、何かに使っている土地なのだろう。もう少し奥へ入った方がいいかもしれない。
そうゼロスに告げようとした時、目の端を何か赤いものが横切った。
何となく惹かれるものがあって、ふらふらと近づいてみると、それは小さな花だった。
「あ、可愛い花。誰かが摘んで、落としていったんだね」
ひとりごとのように呟いて、ちらり、とゼロスを見る。
これで、もうちょっと元気出してくれないかな。
気持ちが、穏やかになってくれないかな。

手の中に収まる程の儚げな命と、目の前の長身の男が、何だか重なって見える。
おかしな話だ、心配しすぎだと自分をなじっていると、ふわり、と風が吹いて、男の髪が空を舞った。
ああ、そうだ、光に透けて…

(朱色の…花…だ…)

きらきらと太陽の光を浴びてさらさらと風に流れる紅い髪は、いきいきとしているのに、とても繊細だ。
華やかで、人を惹きつけるくせに、本当のところはひどく弱々しいのだ。
だから、誰でもいいから誰かと一緒に居たいんだよね。
あたしはもう、それを知ってる。

あたしの視線に気付いたゼロスが、
「ん? 何よ? 幾ら俺さまが麗しいからって、花と比べられるのもなぁ…」
へらへらと、いつものようにおちゃらけて言う。
仕方ないねえ。
強がりたいのなら、あたしもそれに乗ってあげなきゃね。
「バカか。そんなの花の勝ちに決まってるだろ」
出来うる限りの冷ややかな目線を作って、投げつけてやる。
ごめんね、ゼロス。あたしは、カラ元気を作らせることくらいしか出来ないよ。
でもそれって、却って負担になってたりしないかい?

お詫びの気持ちを込めて、爪先立ちになって、めいっぱい手を伸ばす。ゼロスはあたしの意図を汲んで、少し背を屈めてくれる。
届いた。ゼロスの耳元に、ちょこん、と小さな花が咲いた。可愛い。悔しいけど、コイツには、あたしなんかよりよっぽど花が似合う。
本人も自覚があるらしく、
「わぁお、美男子に花。あ〜り〜が〜と〜。でひゃひゃひゃひゃっ!」
なんて、下品な笑い声と共に茶化してくれる。
「ばーか」
と返すものの、ゼロスがまた少し元気になってくれたみたいで嬉しい。
それを悟られないように、くるりと前を向く。今度はあたしが前を歩く形になった。
「もっと奥に行くよ。ここは人が来るみたいだから」
ざくざくと勇み足で先へ進む。

と、途端、カクン、と、軽く体が揺れた。
この感じは知ってる。
「もうっ…、ほどけるからやめろって言ってる…」
怒鳴りながら振り返るより先に、頭を押さえ付けられた。
帯を引っ張るにしろ頭を押さえ付けるにしろ、決してやりすぎた力がかかっていないトコロに、こいつの女の扱いの経験値の高さが見てとれる。
ゼロスは、あたしの頭のてっぺん付近で何やらもそもそと動き、
「でもこれは女の子にこそあげるべきでしょ〜。ほい、でけた」
そう言って、ぱっと両手を離した。どうやら、あたしの髪紐のあたりに、先程の紅い花を挿し込んだようだった。

そして、あたしの肩を掴んで、くるりと自分の方へ反転させると、満足そうに、へらりと笑い、
「ん、お似合いですよ姫君」
そう言うが、あたしは嫌で堪らない。
「はずかしいよこんなの。取っておくれよ」
当然あたしは懇願するが、これまた当然、ゼロスはあたしのお願いなど聞いてはくれない。かと言って、自分で取ろうにも花を傷めてしまいそうで嫌だ。
「ど、どうなってんだい? 自分じゃ見えないよ」
恐る恐る花に触れると、その手をぱしりと捕まれた。
「取る必要なんかないって。かわいーかわいー。ピンクのリボンのまんなかに、でっかい赤い花が咲いてるみた…」
満足そうな表情と共にへらへらと降り注ぐお世辞の雨は、正直あたしにとってはあまり気分のいいものではない。気恥ずかしくなって視線を逸らすと、それとほぼ同時に、ぴたりと雨が止んだ。
「…? どうしたんだい? やっぱりおかしいんだろ?取っておくれよ」
不安になってもう一度懇願すれば、ゼロスは首を横に振って、
「んーん。かわいいかわいい。お前の黒髪によく映えてるぜ? まっかなお花」
 ゼロスが首を振ったから、ゼロスの紅い髪もそれにつられてふわふわ揺れた。まっかな色が似合うのは、あたしなんかじゃなくてゼロスだよ。そうは思うけど、
「…ほんと?」
少しだけ気分がよくなって、つい調子にのったことを口走る。だってそれが本当だとしたら、やっぱり嬉しいから。
だってそれってつまり、ゼロスの色が似合うってことだから。そう思った自分が少し、いやかなり恥ずかしいけど。
「ほんとだって。……お前、こーゆー色、好きだっけ?」
「え?」
「や、前はそんな事なかったような気がしてさ」

ゼロスの指す所の、こーゆー色とやらは、つまりは朱色のことで、それは確かに、男勝りのあたしには似合わないからと敬遠してきた色だった。
だって、ミズホでは昔から、朱は高貴で美しい色って決まってるんだ。あたしなんかが身に付けていい色じゃないんだよ。
余りにも唐突な質問に、返答に困ってしまって、取り敢えず適当な事を言ってやり過ごす。
「…この旅で、好きになったんだよ」
嘘を言った所で、それがこの男の目を欺けるわけがない。それなら本当の事を堂々と言った方が、気にされなくていいに決まってる。
カンのいい人なら気付いてしまうかもしれない、あたしなりの愛の告白。本当なら目の前の朱色のひとを見ながら言えたらいいんだけど、そんなことあたしにはできっこないし。
だから、なるべく素っ気無く言った。ゼロスが関心を持たないように。

「ふうん…旅…ね…」

突然の質問に、あたしの気持ちが見透かされたような気がしてどきまぎしたけど、それは杞憂に終わって、ゼロスは特に関心は抱かなかったみたいだ。
どうせあたしなんて、そーゆー対象にはなれっこないんだし、当然のことなんだけど。

それはそれで寂しいけど、
仕方ないかなって思う。





また、夜がやってきた。
いつものように、ライトを灯して寝支度を始める。しいなは、昼間の小さな赤い花が余程気に入ったと見えて、わざわざ小瓶になんて挿してやっている。髪を梳きながらも、横目でその花をチラチラ見たりなんかして、気にしているのが傍目にもよく分かる。
俺もつられて赤い花をぼんやり見ながら、こりゃもう決定的だなとひとりごつ。

「…なあ」
「んー?」
髪を梳いているせいか、しいなは、鏡から目を離さずに、口だけで返事をしてくる。俺には、目もくれない。
決して、野草ごときに嫉妬しているわけではない。問題は、その向こうにはっきりと見える人影だ。俺もよく知ってる、まっかなヤツ。

昨晩梳いた髪の熱が、まだ掌に残っている気がして、それがたまらなく胸の奥を締め付ける。
絶え間なく溢れ出て来る甘い感覚が、苦しい。行き場をなくして、どこでもいいからとばかりに、体中を駆け巡る。背中や指先が、ジンジン痺れてたまらない。

キツイ。
キツすぎて、

「お前、まだ、ロイドが好きなのか?」

言うつもりのなかった言葉が、口を突いて出た。余りにもすんなりと、しいなの耳に届いたそれは、予定外過ぎて、俺の言葉じゃないような気さえした。
口にした瞬間に、後悔の念が波となって押し寄せてきたが、そんなことはもう、後の祭りだった。
しいながどう思うかとか、隠してきた苦労が水の泡だとか、これからの関係がぐちゃぐちゃだとか、考えることは沢山あったのに、俺の中の何かが耐えられなくなったらしい。
もう、何もかも全てが、台無しだ。
「…は?」
思わず、もう本当に思わずといった感じでしいなが振り返る。こいつは本当に無防備だ。
一度かち合った瞳を、逃がさないようにじっと見つめる。しいなの瞳は、きれいなブラウン。温かみがあって、俺は好き。
「なあ…?」
返事を促すと、しいなは弾かれたように、ぱっと目を逸らした。
「な、なにバカなこと言ってるんだい! わけわかんないよ、突然そんな……」
「寝言で言ってた」
「嘘!」
嘘なんかじゃない。嘘だと言って欲しいけど、もういい。いっそ本当だと言って俺を突き放してくれた方が、きっと楽になれる。
「嘘じゃないって」
へらりと優しく作り笑いをしてやる。なのにしいなは、キッと俺を睨んで、
「嘘! ロイドの夢なんか見てない!」
そう言う声は、何故か小さく震えていた。
怒ってるのか? 怒りたいのはこっちだよ。尤も、俺には怒る権利なんてないんだろうけど。
しいなは強情だ。
ならば、と本当は言うつもりなんかなかった言葉を口にする。
「嘘なもんか。寝ぼけて俺さまにキス迫ってきたんだぜ?
俺さま、ロイドくんじゃないのによ」
いかにも迷惑そうに笑って息を吐く。しいなが、はっと息を呑むのが聞こえた。

ビンゴ。今朝言ってた、『いい夢』ってのは、こいつで
間違いなさそうだ。
可哀想にな、しいな。折角のいい夢だったのになあ?
相手が俺だったんじゃ、がっかりだよな。そう考えただけでムショウに腹が立つ。きっと今の俺は、自分でも見たことのないくらいにムカっぱらの立った顔してるんだろうな。
まあでも、こうなると止まらない、し、止められない。
「それにその赤い花、ロイドくんとお揃いだろ」
吐き捨てるように言う。
「…?」
きょとん、とした後、じわじわと眉を寄せるしいなを見て、言葉が足らなかったのかと思い、付け足してやった。
「真っ赤な花。赤はロイドくんの色、だろ」
「なに言って…」
それでも首を縦に振らないしいなに業を煮やし、
「お前が赤を好きになったのってさ、あの旅でなんだろ?つまり、ロイドくん」
核心を突いた。
しかし、しいなの反応は予想よりも随分と静かで、
「…違うよ」
「何が」
自ずと、俺の受け答えもトーンが低くなる。しいなは俺と目を合わせずに、どこか遠くを見ながら言った。
「…全部。何もかも」
「…そ」
俺が素っ気無く言うと、しいなはそれきり何も言わず、ふたりの間に沈黙が流れた。

その沈黙を破ったのはしいなだった。俺はぼんやりしていたから、このくらいの沈黙は苦にならなかったが、しいなはそうじゃなかったようだ。きっと色々と考えていたのだろう。
「そんなの…っ」
きっと、次にしいなの口から出てくる台詞は、こうだ。
『あたしが誰を好きでも、あんたには関係ないだろ』。
そうくると、俺だって、売り言葉に買い言葉で、ついつい言っちまうよなあ?『俺はお前が好きなんだ』、って。ついでに、『気付けよこの馬鹿が』、って。
そうなるともう、全部、誤魔化しがきかない所まで行っちまうわけだが、それはもう仕方がない。取り繕うよりも、いっそ、そっちの方が楽でいい。
俺は黙って、しいなの次の言葉を待った。

「そんなの…っ。大体あんただって、最近名前で呼ばないじゃないか。何がやましいのか知らないけど!」

予想外の台詞に、一瞬戸惑う。売り言葉にもならなければ、買い言葉にもならないような、まるで話題の違う話。
おかげで俺は、
「あら、気付いてた?」
なんて、間抜け極まりない返答しか出来なかった。
「当たり前だろ! 不自然なんだよ! 前はあんなにしいなしいな言っといて!」
 しいなはいつだって余裕が無い。だから、他人を責める時にも、正面からぶつかることが出来ない。叫ぶだけ叫んで、その後は、ふいっと目を逸らしてしまう。それが俺には有難かった。

名前を呼ぶだけで、たまらなくなる。そんな邪な気持ちに気付かれたりなんかしたら、この旅も終わってしまう。それだけは、嫌だった。
そのくせ、本当は気付いて貰いたくて、受け入れて欲しかったのだろう。その証拠に、今、胸がドクンと大きな音を立てた。
「へえ? 気付いてたんだ。ふうん、ひどい女だなぁお前。
気付いてんのにそんな態度なんだ」
気付いて貰えていて嬉しい。嬉しいが、それだけだったのなら、悲しい。我侭で矛盾だらけの恋心は、俺から余裕という二文字を奪って、俺をただのカッコ悪い男にしてしまう。それを取り繕おうとして、知らず、淡々とした口調になる。一見冷静に見えるその口調は、しいなを苛立たせるのには十分なくらい、嫌味なものだった。
「……は? ひどいのはどっちだよ! あんたなんてっ、あ、あたしの気持ちも知らないで!」
「はあ? 知ってるぜ? だから何も言ってないだろ?」
しいなは、意味が分からないのか困った顔をしている。どこまでも鈍い女の見せるこんな表情が、俺の神経を逆なでする。血液が逆流でもしてるのかってくらいカラダが熱くなる。アタマの奥がかあっと熱くなった事から考えてみても、もしかしたら本当に血液が逆流しているのかもしれない。
馬鹿しいな。お前の気持ちなんか、とっくの昔に知ってるよ。だから俺からは何も強要してこなかっただろうが。
はっきりとそう言えたなら、どれだけ楽だろうか。
俺さま紳士だから、女の子を困らせるようなことはしたくないのよ〜」
しいなでは戸惑うくらいが関の山で、俺の行動背景にまで考えは至らない――そう分かっていたからこそ大胆な行動に出られた。そのくせ、困らせたくて、気にかけて貰いたくて、気付いて貰いたくて、最後の悪あがきをしている。
口先では困らせたくないなんて言いながら、目の前にいる女にこんな泣きそうな顔させてちゃ、男として失格だよなあ。更に、そんな顔をさせてゾクゾクするほど幸せを感じるだなんて、悪趣味にも程がある。
「意味が分かんないよ…。だいたい、あんたがわけわかんないせいで、あたし今、困ってんじゃないか…」
「ハッ。俺がわけわかんないのは、いつものことなんだろ〜よぉ? 些末なことで悩むなよ」
そう、へらりへらりと返してやると、しいなは声にならない怒りの声を上げた。
「…っ! あたしのことが嫌いなら嫌いってはっきり言えばいいだろ! 曖昧なのが一番こまるんだよ!」
嫌いじゃないから困ってるし、困らせちまうんだけど、それをしいなに言っても分かってくれるわけがない。かと言って、はっきり好きだなんて言うのは怖い。
相手に自分の気持ちを汲んでもらいたいなんて、とんでもなく贅沢で我侭で自己中なことを考えてるくせに、それを分かってくれないしいなに、理不尽にも腹が立つ。脳が溶けてしまいそうなくらいにゾクゾクした幸福感は、本当に俺の脳みそを溶かしてしまったらしく、もう、沸点ギリギリだった。善悪の判別もつかない。
「ああもう、何でそうなるんだよ、この馬鹿! 俺はそんなこと一言も言ってないだろーが! くそったれ!」
女に怒鳴るなんて初めてのことかもしれない。滾った脳みそが瞬時に冷えていくのを感じた。
くそっ、やばい、強く言い過ぎた、泣かれる…後悔と共にしいなの泣き顔が脳裏をよぎって、目の前がくらくらした。しかし、定まらない視線で捉えた現実のしいなは、唇を噛んで、俺を強く睨みつけてきた。よかった。
何かフォローをしようと、口を開いた瞬間、
「はっきり振ればいいじゃないか! あたしのことなんて!」
「…は…?」

は…?

「…っ! ゼロスのばか! あんたなんか嫌いだ!」
しいなは悲鳴に近い叫び声で俺に怒鳴ると、テントから飛び出していった。
「あっ、おい…!」
反射的に呼び止めると、キッと鋭い目付きと共に、聞き覚えのある言葉が投げられた。
「風刃縛封!」
「おわっ!」
逃げる間もなく、体が中を舞った。

「ちょっと待ておい!
…っ、しいな!」




湖は、月の光に優しく照らされ、静かに波打つ水辺は、幻想的な雰囲気を醸し出していた。時折静かに吹く風が、きらきらと水面を揺らす。
こんな風にきれいな湖を見ると、ユニコーンを思い出す。懐かしくて、だからつい、惹かれるように足が向いた。
走ってきて疲れていたのと、懐かしさに気が緩んだのか、 あたしはその場にへたりこんでしまった。ミズホの頭領ともあろう者が、なんて情けない。
でもきっと、それは正解。だってこんなに風が気持ちいい。馬鹿みたいに火照った頭を、すうっと冷やしてくれる。
おかげで少し、冷静になった。
そう、あの時あたしがユニコーンに会えたのは、きっと、あの子とは別の理由だ。そんなこと分かってる。あの子はそうでも、あたしは、純潔なんて理由じゃない。あたしなんか誰も愛してくれなかっただけの事なんだよ。
誰からも愛される、そしてあたし自身も大好きだった、あの金髪の少女を思い出す。あたしにないものを沢山持っていて、すごく羨ましかった。

ねえ、コレット。あんたなら、今のあたしを見て、何て言うんだろう。
ねえ、リフィル。あたし、馬鹿なことしちゃったよ。もう、あたしの気持ちなんてバレちゃったよね。
ねえ、プレセア。たったひとりなのは、さみしいよ。たったひとりじゃ、これからどうしていいのかわからない。

ゼロスを困らせたくなくて、この気持ちを隠してきたつもりだったけど、本当は違ったんだ。あたしが拒絶されたくなかっただけだったんだ。
だから、逃げ出してきてしまった。
ゼロスは優しいから、きっと、こんなあたしなんかでも探しに来るよね。
どうしよう。

どうしていいか分からないけど、どうして欲しいかは分かる。
ゼロスには、忘れて欲しい。だから、これから急いでテントへ戻って、書き置きでもして、それからミズホへ帰ろう。護衛には誰か他の忍をつけて…
そんな事を必死になって考えていたから、あろうことにかあたしは、背後からの気配になんて、まるで気が付かなかった。

「しいな…」
「っ!ひゃっ!」





「やっと見つけた」
「…っ!」
肩で息をしながら言うと、ザーザーとうるさい心臓の音に混じって、しいなが息を呑む音が聞こえた。

怯えてる。そりゃそうだよな。怖がらせて、ごめん。
もうあんなこと絶対にしないから、だから、早く戻ってこいよ。俺が悪かったんだ。しいなの気持ち知ってて、そのくせどうしても諦めきれなくて。怖がらせて、こんな遠くまで追い込んでしまった。

呼吸が落ち着くのを待って、しいなへ手を伸ばす。縮こまったしいなの肩が、びくっと大きく震えたのを見て、心臓が鷲掴みにされたような気持ちになった。苦しい。苦しいけど、へらりと笑う。
「お前なぁ、俺のこと殺す気?」
言いながら、しいなの頭に、掌を落とす。ぽんぽん、と、なだめるように。
今のしいなは、ぴりぴりと気を張って全身の毛を逆立てて、そのくせ耳はぺたんと寝かせて。びっくりした時の猫が、ちょうどこんな感じ。
「あのくらいじゃ死なないよ」
噛み付くところも、そっくり。
「しいな?」
少し強めに言うと、途端にしょんぼりして、
「…ごめん」
俯いたまま、ぼそぼそと、痛かったよね、とか、ごめんね、とか言ってる。猫が甘噛みした後に、そこを必死でなめる感じ。目の前に居るのが確かにしいなであるということにホッとして、思わず噴き出してしまう。
「…な〜んてな! お前の術なんか俺さまには痛くも痒くもないのよ。だからそんなに気にすんなって! 飼い猫が気まぐれにツメ立てたようなもんだ」
「あたしは猫じゃないよ!」
さっきまでしょんぼりしてたくせに、途端に元気になる。おーこわ、と、わざとらしく両手をバンザイしてみせると、何故かしいなはまた肩を落としてしまった。謀らずしも仲間に牙を向けたことに、責任を感じてしまっているのだろう。





ゼロスはやっぱり優しい。でも。
あたしはあんたの飼い猫じゃない。
もしあたしが猫だったとしても、こんなに毛色の悪い猫なんか、あんたが飼うわけないだろ。
それなのに、ゼロスはまた、ぽん、と頭に手を置き、撫でながら、
「…なぁ、ねこちゃん」
あたしを猫扱いする。
撫でられながら、ああ、そうかと思い当たる。あたしなんか、人間の女じゃないんだね。でもね、あたしは、だからって猫に甘んじるほどには、落ちぶれちゃいないんだよ。
「触らないどくれ。髪が乱れる」
結わきもせずにあれだけ走って、乱れていないはずがなかった。寧ろゼロスは、あたしの乱れた髪を見かねて、少しでも落ち着かせようと、撫で付けていただけかもしれないのに。
ゼロスは、困ったように笑って言った。
「……ごめんな? 俺さま、しいなのこと大事だから、困らせたくなかったのによ」
あたしは馬鹿だから、大事、なんて言葉にいちいち反応して、目頭が熱くなる。それを悟られないように、キッと目に力を込める。
「そればっかりだねあんたは。困る困るって、あたしが一体何に困るって…」
あたしが言い切るよりも早く、ゼロスの手が動いた。

ぶたれる…! と思って、思わず目を瞑ったら、それは違っていて、頬に、そっと触れただけだった。
訳が分からなくて、恐る恐る目を開くと、そこには、何故だかひどく悲しそうな顔をしたゼロスが居た。初めて見た顔だったから、驚いて、一瞬小さく震えてしまった。
ゼロスは、形のいい眉を一層寄せて、

そのまま、あたしの唇の端に口付けをした。





しいなの唇は、温かくてさらさらしていた。思えば昨夜は不意打ちだったから、そんな事を考える余裕なんてなかった。予想以上、想像以上の甘さに、押し留めていた感情が今にも溢れ出してきそうになる。
俺は、極力感情を抑えた声で言った。
「こーゆーこと、されたら困るだろ? ってこと」
しいなは何も言わないが、その瞳が、何をするのか、と語っている。辺りが暗いのと驚いているのとで、瞳孔が開かれ、しいなの瞳は、より一層深みを増していた。
しいなが驚きで何も言えないのをいいことに、俺は、ありたったけの思いの丈をぶちまける。
本当は、この気持ちは一生、口にするつもりはなかった。でも、俺が勢い余ってお前を壊してしまうその前に、まだ理性の働いてる今のうちに、どうか俺を拒否して壊して、いっそ淡い期待なんて抱けないようにして欲しい。
「俺さま、しいなが好きなわけ」
「だから一緒に旅がしたかった」
「お前、世界再生の旅ではロイドくんばっかり見てたけど、ふたりきりの旅でなら、俺のことも少しは見てくれるかなって思って」
「でもなぁ、無理だった」
「お前と一緒にいるの、正直俺さまもう限界。ふたりきりってのがこんなに緊張するもんだとは思わなかった」
「名前呼ぶだけでドキドキするんだもんなぁ………笑っちまうだろ」
「名前呼んだら今度は触れたくなるし? …俺さまってばチョ〜俗物」
「…ごめんな」

本当にごめん。
俺さま、実は、自分が思ってたよりずっと根性がなくて、独占欲が強かったみたい。
「しいな、もうミズホに帰っていい。ホントはこんな旅、俺ひとりで大丈夫なんだよ」

あーあ、俺さまの馬鹿。全部ぶちまけちまった。かっこわりぃ。
でも、しいなを泣かす事になるくらいなら、かっこわるくなる方がずっとましだ。かっこつけの俺がこんな風に思ってしまうくらい、お前が大事なんだよ。ごめんな。
それだけ伝われば、まあ、俺の長い長い片想いも、ちょっとは報われるってもんかもしれない。





今、あたしの目の前にいるのは誰?
あたしの知ってるゼロスは、こんな切なそうな顔、見せてくれたことなんてない。いつだって、あたしだけが振り回されてるはずなのに。
でも、もう、嘘でも何でもいい。からかわれているんだとしても、夢だったとしても、いい。嬉しくて、怖くて、幸せな今の気持ちだけで、あたしはもう、十分だ。
カラダの奥が、きゅうんと締め付けられて、そこから、なんだか甘く痺れる何かが染み出してきて、全身をぞくうって駆け巡るみたいな、幸せな気持ち。生まれて初めて味わう甘い感覚に、アタマのすみっこが怯えてるけど、ココロはふわふわしてて、夢見心地ってこんな風なことを言うのかな、と思った。
「ばかゼロス…全然ちっともわかってない。あたしは、この旅がすっごく楽しかったんだ。毎日ドキドキして、すごくすごく楽しかった」
幻でも何でもいい。とけてしまいそうなくらい幸せだから、今だけは都合のいい夢を見させて。
「え、え、なんで…」
あたしの夢の中のゼロスは、今度は何だか戸惑ってて、それこそがこれが夢である証明のような気がした。これはきっと昨日の夢の続きなんだ。本物のゼロスは、こんな事で戸惑ったりなんかしない。本物じゃない、って分かってても、あたしは嬉しくて、本物には言えないような言葉を言ってしまう。
「ばか……そんなの、あんたのことが……好きだからに決まってる…」
「…っ、え?え?え?今なんて、」
「あんたが何を勘違いしてるのか知らないけどね、あたしが朱を好きになったのは、世界再生の旅なんかじゃない。この旅で、あんたとの旅で、好きになったんだよ」

朱、という色は、ミズホ独特の言い回しなのかもしれない。ゼロスは、意味が分からない、といった顔をした。
大別したら朱も赤も変わらないかもしれないけど、あたしにとっては、全然違う色なんだよ。
「朱は…あんたの…髪の色だからだよ…」
そう言って、ゼロスの髪を、ひとふさ、そっ…と掴む。
不思議だな。本当に昨日の夢に似てる。続きって言うより、同じ夢を繰り返し見てるみたいだ。夢の中で夢のことを考えるなんて、おかしな話だけど、たぶん今のあたしは、ぼんやりしすぎてて、普段の半分以下の判断力しか持ってない。だからその分、想像力がいつもより働いているのかも知れない。
 あたしの一世一代の告白に、ゼロスは目を見開いてる。あたしはそれが嬉しくて、なんだか楽しくて、彼をもっと驚かせたくなった。だから、こっそりと秘密を打ち明けるように、そっと囁いた。
「それに昨日だってロイドの夢なんて見てない。……見たのは、」





「あんたの夢だよ、ゼロス…」

そう言うしいなの目には、涙が光っていて。
耳まで真っ赤にして涙目ってのは、犯罪的に可愛くて、愛しくて、胸の奥の奥のずっとずっと奥に押し込めていた感情が堰を切ったように溢れ出して来た。ヤバイ、俺、泣きそう。こんな情けないツラなんか見せたくなくて、しいなをきゅっと抱き寄せる。
「なに…すん…っ!」
しいなはやっぱりしいなで、俺の腕の中でじたばたと苦しそうにもがいた。しかしそれも、俺が少し力を強めたら大人しくなった。
「あれ…ゼロス…?」
「うん?」
「…え、あれ、え、」
「どしたの、しいな」
やんわりと訊きながら、目の前の黒髪を指で梳く。やっ
ぱり気持ちいい。
そうか、と、あの小さな花を思い出す。しいなにとって、あの花は、赤じゃなくて朱だったのか。ロイドじゃなくて、俺の色。
そうすると、昼間、花を見付けてあんなに喜んでいたのも、髪に挿してやると頬を染めたのも、髪を梳きながら横目で気にしていたのも、全部。
俺のこと、なんだ。
その答えに辿り着いた瞬間、たまらない幸福感が胸いっぱいに溢れて、思わず腕の中の小さなかたまりを、きゅうっと抱きしめた。涙が出そう。
「…本物?」
「…はあ?」
しかし、幸福感に溺れていた俺の耳に、突如、しいなの訝しげな声が響いた。一気に現実へ引き戻されたような気がして、泣き出しそうになっていた筈の俺の涙はすうっと引っ込んだ。
「ゼロス、いつから本物?」
「俺さま、偽者だった時があったの?」
一瞬の間の後、

「っ!うわっ!嘘っ!うそうそ!今の嘘っ!なしで!」

しいなは、言うが早いが、べりっと俺の胸からはがれて一気にざっと距離を取ろうと…
したが、そんな事を今更させるわけがない。すぐさま捕まえて、もう一度腕の中に閉じ込める。不安が胸を掠めるが、本能がしいなを離したがらなかった。
「しいな…。ウソ、って? さっき俺に言ってくれたこと、嘘なの?」
「う、嘘っ…。だってあたし、夢の続きだと思って…」
 腕を突っ張って顔を必死で横に背けて、どうやら全身で俺を拒絶しているようだが、こっちはそれどころではなかった。
夢の続き? それって昨日見たっていう…? じゃあ、しいなの夢の中では、俺はしいなが好きで、しいなも俺のことを好きってことなわけ?
しいなは気付いていないんだろうけど、耳まで顔を真っ赤にして、涙ながらに、あなたの夢を見ました、なんて、まして夢だから素直になれました、なんて、この上なく熱烈な愛の告白だと思うんだけど?
「…ふうん? でも、俺は嘘じゃないから。でも、しいなは嘘なんだ?」
俺は、ある種の確信を持って意地悪っぽく言ってやる。すると、腕の中のぬくもりが、ピクン、と小さく揺れた。やっぱり、と嬉しくなる。
「…嘘じゃない」
「ほんとに?」
「うそついてどうすんだい」
「いや、しいな優しいからさ」
「ばか」
照れ隠しなのだろう、いつも以上にぶっきらぼうな答えが返ってくる。ムードねえなあとか思いつつも、そこがしいならしくて笑える。
「なぁ、ほんとにほんと?」
「しつこいねぇ、ほんとだよ」
しいなが、うんざりだと言った様子で顔を上げた。やっと目が合った。
「じゃあ、言って?」
「何を」
「愛の告白」
すかさず、さらりとお願いすると、予想通りの反応。
「な…! 何いってんだい!」
「しいな照れてる〜。か〜わいい」
「ば…! ばか言ってんじゃないよ!」

馬鹿なんか言ってない。
本当は、一生、口にするつもりはなかったこの気持ち。
受け入れて貰えないくらいなら、いっそ嫌って貰った方がいいとまで思った。
それでも、嫌われるのが怖くて、結局のところ、のらりくらりと道化を演じてきた情けない俺。
でも、あの旅で俺の中の何かが変わってしまったみたいで、生きることに少しだけ、希望を見出してみたくなったらしい。
今のしいなならきっと、俺の欲しいものを全部くれる。諦めが悪くて欲張りになってしまった俺の、欲しいもの全部。だから、言葉がすんなりと流れ出て行った。

「しいな…」
「好きだよ」
「…あたしも、すき」

しいなが、消え入りそうな声で言った。
頬に触れて、今度こそ、本当にキスをした。甘ったるいあの感覚が相変わらず全身をぐるぐる回って、背中や指先がジンジンしたけど、しいなに触れてる唇や、背中に回した腕、くっついた胸の方がアツくて、あまり気にならなかった。
それに何より、さっきしいなが言ってくれた、スキ、の二文字が、頭の中をふわふわ舞って、もう、それだけで、ヤバイくらいに幸せで、俺は、これまで生きてきて初めて、自分の命がここにあることの奇跡に感謝した。

枯れてしまうのを待つばかりの命だったのに、途端にそれが愛しくなってしまった。
若しかしたらそれは、ひどく悲しくて、寂しいことなのかもしれないけど、しいなもそうだったらいい。
そしたらきっと、しいなはきっとずっと、俺の傍に居てくれるのに。

己の独占欲の強さに嫌気がさしてきた頃、しいなが恥ずかしそうに耳打ちした。

「あたし、今まで生きてきて、今が一番、幸せ―――」












E N D